私は虐待児童だった
子供の頃の楽しい家族の思い出はひとつもない。
父親は家飲みアル中で、ウイスキーを麦茶の様に呑み酔っては暴力や小学校低学年に到底書けない漢字を書けと無理強いしては、お前は馬鹿だと真冬に外に裸足で出されバケツの水をかけられた。
母親もそんな父親の不満を私に暴力で解消する人。
助けてくれる大人は祖母だけだった。
同居はしてなかったけど、唯一の理解者だった。
全てを忘れたい。
ただそれだけだった。
高校は、家から1番遠い所に行くと決めた。
家に帰っても恐怖しか無かったから。
少しでも長い間、家に帰らないで済む所に行きたかった。
この頃から1人で繁華街をうろつき始めた。
群の中に居るのも嫌だったから1人。
信じる物は自分だけだった。
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